3人とも無事です。
こんばんわ。
光太郎さんです。
本日午前7時58分に大阪北部を震源とする震度6弱の地震がありました。
そのときめーちゃんは先に出勤し、僕は近くのクリニックへの応援勤務だったので少し遅めの出勤でした。なので地震発生時は茶子と2人で家にいてました。
今となってはわかってたのかどうかはわかりませんが、地震が発生する少し前時から茶子がそわそわしだして「どないしたん?」と言って、茶子をなでなでして椅子に座って天気予報を見ようとしたら地震が発生しました。
あのとき茶子がそわそわしていなければ僕は2分ほど早く家をでていて、間違いなくエレベーターに閉じ込められてたと思います。
茶子に感謝です。
実際、大阪では亡くなられた方は3名、怪我人は未だに増えていっています。
亡くなった方の中には9歳の女の子もいています。
残念でなりません。心からご冥福をお祈りいたします。
少し、今日は違った話をしようかと思います。
関西では1995年1月17日 午前5時46分に震度7を観測した大地震がありました。
阪神淡路大震災です。
死者6435名、行方不明者2名、負傷者43792名の犠牲者がでた大震災です。
僕は当時6歳で、まだ小学1年生だったので何もわからない子供でした。
めーちゃんは当時18歳で高校生だったので当時のことを聞くとやはりこの震災は惨いものだったんだなと実感しました。
本題に入ります。
今回、僕は震度5以上の地震を経験したのは記憶にある限りでは初めてです。
しかも住んでるところは19階なのですごい揺れでした。
正直、かなり怖かったです。
しかし、今こうして無事を報告できているのでこの僕たちのブログを読んでくださっている方だけにでも震災に対して準備しておいて欲しくてこのブログを書いています。
今回は無事でいられましたが、近い将来、南海トラフ大地震が来ることが予想されています。マグニチュード9.0が予想されています。
僕たちは今直近の対策ではなく、この必ず来るといわれている大地震に備える必要が絶対に必要です。
具体的には各々で取っていただけたらと思いますが、医療的には生死を分けるのは
72時間
だと言われています。(72時間の壁)
72時間を超えると生存率に変化はあまり見られないという、科学的、医療的に基づいた根拠ある数字です。内閣府からも発表されています。
逆を言うとこの72時間、つまりは3日ですがここを生き延びることができれば生存確率はあがるということです。
ということから僕たちは2人分の
・4日分の食糧12食分(日持ちするレトルト系食品)
・水20l(1日あたり体重×43ml)
・充電器(乾電池式)←意外と大事だと思います。ライフラインの1つです。
・茶子のご飯
・プラスチックのケージ(雨対策)
を、常備することにしました。
参考程度にしていただければいいと思います。
阪神淡路大震災、東北大地震、熊本地震が起きて「うわっ、大変だ」とかなり思いました。しかし、僕は何も教訓とはせず、自分の身に降りかかって初めて自覚したんだと思います。今こそ、この三大地震の教訓を活用しなければならないんだと思いました。
今日は少しまじめな話を長々としてしまい、ごめんなさい。
でも少しでも・・・と思い、めーちゃんとこのブログを書いています。
ではまた。忙しくてなかなか更新できませんでしたが、茶子はむちゃくちゃ元気です。
また可愛い姿を見てやってください。近々更新します。
最後は元気な食いしん坊怪獣・茶子ボンでお別れです。
めーちゃん&光太郎さんでした。